#64【中学校社会科 歴史ノート】明治時代 明治維新

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てぃ~ちゃ~Mです

今回は#64 【中学校社会科 歴史】明治時代 明治維新を紹介します

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#64【中学社会科 歴史】明治時代 明治維新【てぃ~ちゃ~Mの授業】

まとめ(ノート用)コピペどーぞ(^_^)

明治維新

1、五箇条の御誓文(1868年)・・・世論による政治。政治や経済の振興など

→天皇中心の国家をつくるという方針

2、五榜の掲示(1868年)・・・一揆や逃散の禁止。キリスト教の禁止など

→旧制度の維持

3、年号を明治へ。首都を東京へ。一世一元の制(天皇が変わると元号が変わる)

4、版籍奉還(1869年)・・・土地と人民を天皇に返す。旧藩主を知藩事に任命

5、廃藩置県(1871年)・・・藩→県。知藩事は廃止。中央政府の役人が知事や県令として任命される。

⇒日本が封建制度から中央集権国家へと変わっていく

6、四民平等

士族・・・1876年、帯刀禁止令。秩禄処分にて特権を奪う

平民・・・農工商、被差別部落民。名字を認め、結婚や職業、住居の制限をなくす。

解放令・・・解放令への反発や続く差別(後の部落解放運動へ続く)

勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)

▼歴史記事▼

本記事の内容: 明治初めの変化がわかる

漢字もいっぱい

意味もよくわからない・・・

授業だけでは覚えられなかった・・・

明治の初めは改革が多いので覚えることも多いです

一つ一つ言葉の意味を理解しながら進めれば大丈夫です

おさらい

アメリカとの日米和親条約(1854年)が結ばれるところから時代は大きな変化を迎える

ペリーが関係していましたね。下田と函館の開港と領事の駐在もあります

続いて、ハリスとの間で日米修好通商条約(1858年)が結ばれます

五港の開港と治外法権を認め、関税自主権が無いという内容でした。

日米修好通商条約を結ぶにあたって日本に責任者は大老の井伊直弼。彼は、自分に批判的なものや対立する人たちを次々と処罰していきました。これが安政の大獄(1858年)。

そして井伊直弼のやり方に対し反発した藩士らの暗殺にあう。桜田門外の変(1860年)。

そののち、攘夷運動が活発になり薩摩や長州藩による外国人への殺傷事件や砲撃事件から、外国と藩との闘いがある。これら外国との闘いで薩摩藩や長州藩は攘夷という考えから、幕府を倒し、新たな政権を作ることを目指していきます。

薩長同盟が結ばれ、幕府軍に勝利し、世の中に「世直し」の風潮がおこり、一揆や打ちこわしも広まる。

そんな中で、幕府は政権を維持するためにも、天皇に権力を返すことで高い役職に就こうとした(大政奉還、1867年)が、公家や諸藩の考えは幕府勢力をなくすこと。天皇中心の政治に戻すことを宣言(王政復古の大号令、1867年)し、幕府の領地を没収し、高い役職も認めず力を奪った。

幕府はこれに不満を持ち、新政府軍との戦い(戊辰戦争、1868年~1869年)がおこり、幕府軍は敗北し江戸幕府が終わりをむかえる。

中学の社会科は様々な出来事から権力の移り変わりを学ぶことが一つの目的です

そして、日本が中央集権化にむけてどのような政策をしていったのかを知ることが目的です。

これから迎むかえる明治時代もはっきり権力が変わったことがわかるので、時の権力者がどのように日本を作ろうとしたのかを知っていきましょう

五か条の御誓文

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし

一、上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし

一、官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめんことを要す

一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし

一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし

簡単に訳すと

  • 会議を行い人々の意見を聞く
  • 身分が上の者も下の者も心を一つにして国を盛んにしよう
  • 公家も武家(も庶民も)みんなで政治をしよう
  • 攘夷(今までの慣習)をやめよう
  • 世界の知識を取り入れ天皇中心の国の基礎をつくる

ということ

現代の世の中の考えからすると、すこしずれるところもあると思うが、理解はできるでしょう。

しかし、海外のフランス人権宣言や独立宣言などとは決定的に違う箇所があります

それは

海外の宣言が人民に誓っているのに対し、五箇条の御誓文は天皇が神に誓っています

何のためにこんなことをしたのかというと日本の方針をいろいろな人に知らせるためです

海外に対して、日本は天皇中心の一つの国家になったのだと示すために文章化して出しました

大名に対して、天皇が一番偉いのだと、天皇のもと、一つになるのだと示した

だから、ターゲットは国民に示したのではなく、外国や大名にむけて発信したものだったのです。

こういったところに日本人という国民性が見れるのかなと思います。現在も選挙に行く人が選挙権のある全国民が行っているとは言えません。それだけ政治に関して関心がありません。

でも国は動いています。マスコミは政治家のスキャンダルを取り上げて視聴率を稼ぎます。

なぜテレビが視聴率が必要なのか

テレビ局も会社です。会社は稼がないといけません。何で稼ぐか?広告掲載料です。

テレビ番組の間にはCMが流れます。このCMを流す会社からお金をもらって、CMを流しているのがテレビ会社です。テレビを見てもらわないとCMを見てもらえない。だから面白い番組やためになる番組をつくりみんなに見てもらっているということです。CMを流してもらう会社も、みんなに知ってもらえて買ってもらえる可能性が増えるので商品が売れる可能性が高くなるということです

スキャンダル、やってはいけないことをやっている政治家を知ることは大切です。悪い人の情報を知らなければ危険ですからね。

でも、本質的な政治の動きや内容は「桜の会」や「IRワイロ」ではありません。本質的な政治に関心が少なくスキャンダルを追いかける国民性がやっぱり強いです

でも逆に言うとそれだけ安全安心なのかもしれません。

話がそれました

明治政府は、国民には国民に向けた方針も発表します

それが

五榜の掲示

第一札:五倫道徳遵守

第二札:徒党・強訴・逃散禁止

第三札:切支丹・邪宗門厳禁

第四札:万国公法履行

第五札:郷村脱走禁止

簡単に訳すと

  • 道徳のすすめ
  • 武力で訴えたり逃げ出したりしない
  • キリスト教の禁止
  • 外国人への暴行禁止
  • 勝手に引っ越してはいけない

ということです

これは江戸時代の方針と変わりません。

古い制度を維持することで国民の暮らしは変わっていないということ。でも、支配者やまとまり自体は変わっていってるのです

その他

年号を「明治」に改めます(明治元年は1868年。明治元年とは明治1年ということ)

首都を東京(前の江戸)とします。天皇の住むところが京都から東京へ移りました

(参考:▲【中学校社会科 地理ノート】関東地方▲

旧制度の解体

旧制度とは「幕藩体制」のこと。でも幕府はなくなりました。残っているのが藩です。

新政府はこの藩の解体に着手していきます。

藩はもともと幕府との主従関係はあるものの、独立した組織です。だから大名は「一国のあるじ」なわけで、この仕組みをなくしていくために動きます

版籍奉還

1869年に、版図(領地)と戸籍(人民)を返すという取り組みです。

そもそも、公地公民という言葉が、歴史のだいぶ前の記事でありました

(参考▲【中学校社会科 歴史ノート】律令国家を目指して 改新の詔▲

公地公民は土地も人民も天皇のものですよということ

版籍奉還は大名が持っていた土地や人民を天皇に返すということです。天皇中心の国づくりが動いていますね。でも、誰が動かしているのかというと実際は天皇ではありません。天皇は発表だけでいいのですが、実際政治を動かしているのは公家や薩摩や長州出身の藩士たちです。

でも、大名たちは領地と人民をなくしたとなれば困ります。だけど安心してください。領主はそのまま、知藩事として任命し、統治者は同じだとします

こうして少しずつ体制が変化していきます

廃藩置県

1871年になり体制が変化します。

版籍奉還によって旧藩主が知藩事となり統治していたのが、新たに、藩を廃止して県とすることで、知藩事がやめさせられていきます

各県には政府からの役人が任命されて赴任することになります。旧藩主は東京に住まわせ元の領地から離した生活をさせました。

地域のリーダーは政府の役人で、府は知事として、県は県令として政府に任命された人が統治するという形に変わりました。

これで、日本の旧体制であった幕府と藩による支配が完全になくなったということで、それまでの封建制度から天皇中心の中央集権国家が出来上がっていくという形です

ですが、各藩の借金を政府が引き受けるということもありました。

借金を引き受けてくれるということで旧藩主にとってはありがたい話かもしれませんが、日本の中心は新政府にあることを忘れてはいけません。

政府というものはお金の価値を変える力を持っています

(参考▲【中学校社会科 公民ノート】通貨と為替相場▲

お金の交換比率は政府にとって有利になるような借金の引き受けでした。言葉を変えると各藩の借金を安くで買い取ったということです。

各藩の弱体化を狙った政府の取り組みが廃藩置県です。

四民平等

江戸時代の身分制度にも変化があります

士農工商という言葉で紹介しましたが、士は武士の士。士には大名や武士が当てはまります。

(参考▲【中学校社会科 歴史ノート】江戸時代 身分制度と差別▲

天皇-華族(公家や一部の大名)-士族(一部の大名や武士)-平民(農工商)

となります

これまで士には特権がありましたが奪われます。1876年に廃刀令といって刀を持つことを禁止します。そして秩禄処分といって、武士への給料を全面廃止します。

平民には五榜の掲示というものがありましたがこれも1873年には撤去されました。そして、名字を認め、結婚や職業、住居の制限をなくすことが変化としてあります。

差別されていた人たちにも「解放令」(1871年)が出されました。「えた」や「ひにん」という差別用語を廃止し平民と同様とする決まりになったのですが、差別は根強く残りました。なぜか?決まりになっただけで政府は取り組みはしていません。

他に、いままで独占的であった部落の仕事(生き物の皮を扱う仕事(皮革業))の独占がなくなり、納税や兵役の義務を背負わされるようになったからです。

四民平等という言葉はきれいですが、政策や実生活ではまだまだだったことがわかります。

まとめ

これら一連の改革を「明治維新」といいます

それ以外にも経済や税制などさまざまな改革を行っていきますがそれは次回へ・・・

問題

頻出問題①

以下の文章の空欄に当てはまる語句を下から選んで答えなさい

一、広く○○を興し、万機公論に決すべし

一、上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし

一、官武一途庶民にいたるまで、・・・倦(う)まざらしめんことを要す

一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし

一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし

【  改革  会議  改変  回覧  】

答えはこちら

頻出問題②

以下の文章の空欄に当てはまる語句を下から選んで答えなさい

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし

一、上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし

一、官武一途庶民にいたるまで、・・・倦(う)まざらしめんことを要す

一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし

一、智識を○○に求め、大いに皇基を振起すべし

【  学者  先生  世界  道徳  】

答えはこちら

頻出問題③

明治4年(1871)明治政府が中央集権化を図るため、全国の藩を廃して府県を置いたことを何というか答えなさい。

答えはこちら

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