こんにちは
てぃ~ちゃ~Mです
今回は#13「弥生時代」を紹介します
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もくじ
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①弥生時代
大陸から稲作が広まる。水田や竪穴住居の集落。弥生土器(うすくて固い)。
銅剣や銅鐸など、青銅器、鉄器の使用。
遺跡 ~登呂遺跡(静岡県)。吉野ケ里遺跡(佐賀県)など
②邪馬台国(漢字で書けるように)
卑弥呼、金印「親魏倭王」(魏志倭人伝より)、、、30国を支配、、、
③日本列島の多様な文化~
本州:弥生文化で稲作
北海道や北部:続縄文文化
沖縄:貝塚文化(漁と稲作)
▼ 歴史記事 ▼
今回は「弥生時代」です
まだまだ簡単ですが、基本が大切です。ちょっとずつ取り組みましょう。
目的
- 弥生時代の特徴を知りましょう
- 邪馬台国は知っておきましょう
弥生時代の特徴
紀元前四世紀から三世紀ごろまで続いた文化です。
弥生時代と言う名称の由来ですが、弥生の名称は東京都文京区弥生という地名からです。
その弥生町から土器が出てきました。なので弥生時代と呼ばれています。
その弥生土器ですが、縄文土器と比べると薄くてかたいのが特徴です。
固くしている方法は温度。温度を高くして焼いているから。
形の悪さや、厚みを均一に整えるためにろくろが使われています
縄文時代と同じ野焼きですが、上から土やわらをかぶせることで比較的高音にして焼いていくことによって縄文時代よりも固くなるということです
ちなみに縄文時代は、焚火の上に直接置いているだけとイメージしてください。
(参考記事:▲中学社会で知る焼き物は?そもそも陶器って?▲)
道具によって変わってくる人々の生活
土器を使うことで食生活が変わってくる。煮物や焼いたりできることで、食品の幅が広がります。そして食べ物の蓄えるにも使えます。
米食ですが、米を食べるためには稲作が行われなければなりません。
稲作は大陸から伝来しました。
米作りを行うためには水田が必要です。水田は一人で作ることは難しいです。人が集まって水田や水の通り道を作ればいいですが、誰が集めるのか?
そうやって指導者やリーダーが出現してくるのです。
田植えの時期や、豊作かどうかを占ったりする人たちも指導者になっていくわけです
そうやって人が集まり、竪穴住居で暮らし、集落ができてくる。
高床倉庫に作物を保管し、石包丁を使って稲穂(先っぽの方の実)を取る道具なんかも使われるようになります。
中国や朝鮮半島などの大陸から伝わってくる稲作文化ですが、大陸では、戦乱に追われた住民などが逃げてきて日本にたどり着いたともいわれています。日本でも北九州から西日本、東日本へと広まっていきました。
- 金属器
青銅器の使用は祭りごとに使われました。
銅鐸はベルみたいなもので用途としてはまだわかっていないところもあります。
銅鏡は鏡、鏡というか金属は磨けば輝きます。剣や鉾は分かると思いますので。
鉄なんかも武器や農具として使用され始めるのが弥生時代です。
- 弥生時代の遺跡
登呂遺跡
吉野ケ里遺跡
この遺跡は、大きな集落で、物見やぐら(見張り台)があった。物見やぐらは建物を高くして遠くまで見えるものだ。ということは敵の侵入や何かしら危険を知る必要があったと考えられる。環濠は集落周りの掘られた溝。柵なんかも作られていた。こういう遺跡からも、当時の人々の様子がうかがえる
争いがあったのだろう。事実、争いで傷ついたのであろう人骨も見つかっているのが弥生時代からだ。
- 弥生時代の変化
むらからくにへ
生産力の向上により、支配者と被支配者、簡単に言うとリーダーが出てくる。まつりごとなども行う人が指導者へとなっていく
支配者は武器や土地を所有し、持たないものが支配される。身分ができるという事だ。
邪馬台国
邪馬台国はキーワードを押さえましょう
- 漢字で書けるように
- 卑弥呼
- 「魏志」倭人伝
魏志倭人伝には邪馬台国の事が記されています。
「邪馬台国を卑弥呼が30国を支配している」「金印と銅鏡100枚を送った」
だが、現在も金印は見つかっていない。
ノートチェックやネタ用で「漢委奴国王」「親魏倭王」を使ってみてください(^^)
導入としてもいいかもしれませんね
日本の多様な文化
本州は弥生文化、東北、北海道は続縄文文化、沖縄、貝塚文化
知っておこう・・・稲は熱帯性の植物なので、本来、寒い地域では育てにくい。現在は品種改良も進みどこでも作れるようになっているが、基本温かい環境が好きだと覚えておこう。
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