中学校社会科の織田信長で覚えるべき必要なこと

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【タイトル】中学校社会科の織田信長で覚えるべき必要なこと

こんにちはてぃーちゃーMです

お子さんの
社会はいまいち苦手だ
覚えるのが面倒くさい
人物や事件なんて覚えられない
年号なんて適当だ・・・・

その感覚を

覚えていたところが出てきた時のうれしさ
テストの問題がわかったときの「よっしゃ!」って気持ちに変えてみませんか?
自信をもって見せてくれる通知表へと変えてみませんか?

中学校社会科の歴史の中で登場する

織田信長

テストで必要な覚えることを説明とともに紹介します

簡単な年表

もくじ

生い立ち

1534年生まれ
幼少期から気性が荒く、派手な格好や行動からついたあだ名は「尾張の大うつけ」父の位牌に焼香を投げつけたとか・・・・それでいても父親には愛されて育ったとか・・・

しかし、人物像は中学校のテストでは問われません。

生い立ちはさらっと紹介しただけです

桶狭間の戦い(1560年)で今川義元を破る

当時、天下人に一番近いといわれていた今川義元を桶狭間で倒した。織田の軍勢は3000。これに対し、今川軍は2万5000ともいわれ、正面で激突すれば敗戦必至。しかし、信長のすごいところは、「情報戦」。今川陣営にスパイを忍び込ませ、スキをねらって今川を倒した。織田信長は、このスパイに対して最も高い報酬を出した。

将軍の足利義昭を追放し室町幕府を滅ぼす(1573年)

信長は、各地に勢力を拡大している軍事力を背景に、足利義昭を将軍にするという名目で京都に入り、幕府軍を完全に掌握した。当然対立した足利義昭は各地に「信長を倒そう」と呼びかけるが、信長反対勢力も次々に敗れ、足利義昭も京都から追放された。

長篠の戦い・・・足軽の鉄砲隊で武田軍を破る(1575年)

傭兵部隊の歩兵の足軽。簡単に言うと使い捨てのコマ。だが、機動力に優れ、一騎打ちの戦闘から、集団の戦闘へと変化していく中で重要な戦力となる。鉄砲を用いた戦闘は有名。

本能寺の変にて明智光秀により倒される(1582年)

戦国時代から泰平の世へ変化していくターニングポイント。最後の下克上。
部下の明智光秀の謀反(裏切り)により、寺に火を放ち自害した。

寺社勢力への厳しい弾圧とキリスト教の保護

信長と宗教との関係は、経済政策と密接に結びついている。そもそも当時の寺社勢力はお金を持っていた。それは「市(市場)」の支配にある。
昔の品物は、基本的にはすべて手作りである。手作りの品物には命が宿る。物を大切にするという日本人の大切な精神はこういったところからも見られるが、命が宿る品物は、神聖な場所で扱われるべきだ!ということで、寺社周辺で発達するのが門前町。品物の売り買いによって利益を得るのが、場所を貸すことで「場所代」をもらっている寺社関係になってくる。当時、身元の分からないよそ者は関所で排除される。しかし、世の中のリーダー(織田信長)が出てくることによって安全は約束され、関所が必要でなくなってくる。そして、経済政策に打って出る。

楽市楽座による市の営業税(売り上げの一部)で安定収入

場所代から営業税(売り上げの一部を納める)にすることで経済の活性化を図り、座(同業種の組合)をなくすことで一層の経済の活性化をめざした。やっぱり、金は力なのだ!!

堺の自治を奪う

当時、町衆による自治の強い町があった。それが「堺」。会合衆(えごうしゅう)といわれる有力商人たちによる自治を、軍事力を背景に脅し従わせた。なぜ堺なのかというと、堺の近くには、経済の源である「生野銀山」があり、堺は鉄砲の一大生産地であったため、信長の天下統一のためには絶対に手に入れなければならない都市であった。

まとめ

桶狭間の戦い(1560年)で今川義元を破る
将軍の足利義昭を追放し室町幕府を滅ぼす(1573年)
長篠の戦い・・・足軽の鉄砲隊で武田軍を破る(1575年)
本能寺の変にて明智光秀により倒される(1582年)
寺社勢力への厳しい弾圧とキリスト教の保護
楽市楽座による市の営業税(売り上げの一部)で安定収入
堺の自治を奪う

内容や根拠が明確になっていき、理由がわかれば理解する力は、3倍にアップします。

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勇気と信念、そして決意をもって踏み出せば、毎日少しずつ必ず成長できます

まずは取り組んでみよう!!

最後まで読んでいただきありがとうございます。次回もよろしくお願いします。

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