こんにちは
てぃ~ちゃ~Mです
今回は#58【中学校社会科 歴史】江戸時代 天保の改革と幕府政治の行き詰まりを紹介します
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もくじ
まとめ(ノート用)コピペどーぞ(^_^)
ゆらぐ幕府政治
- 諸外国の接近に対し
1825年の異国船打払令(後の攘夷運動につながる)
→これに反対した人たちが蛮社の獄で処罰される(渡辺崋山や高野長英など)
- 農村の変化
1837年 大塩の乱→各地で一揆や打ちこわしが拡大
- 天保の改革(老中 水野忠邦)
・質素倹約
・株仲間の解散
・百姓の出稼ぎ制限(人返し令)
・上知令(幕府の領地にする)
→結果:失敗し幕府の力は弱くなる
- 各藩の財政再建
薩摩や長州などは政治改革に成功
勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)
▼歴史記事▼
本記事の内容: 天保の改革と幕府の内外への対応 がわかる
入試でもよく出る江戸時代
時代の概要と人物と政策と文化と順番を理解していればテストも怖くありません
改革一覧
今回の天保の改革で、江戸時代の改革自体はおしまいです
開国から幕府政治の終わりまではまだ江戸時代は続きますがここで一旦の区切りになります
欧米諸国の接近
- 1792年 ラクスマンが漂流民を日本へ。通商の要求
- 1804年 ロシア使節レザノフが通商を求める
- 1808年 イギリス船の長崎港への侵入(フェートン号事件)
- 1808~9年 間宮林蔵の樺太探検
- 1823年 シーボルトの来日。鳴滝塾にて西洋医学を教える
- 1825年 異国船打払令
- 1839年 蛮社の獄。高野長英や渡辺崋山らを処罰
1792年、東への進出を考えているロシアがやってきます。日本との貿易が目的でしたが老中の松平定信がこれを拒否します。逆に、蝦夷地や江戸周辺の海岸の警備を強めました。
19世紀にはいると欧米諸国の対立や捕鯨の広まりがあり、イギリスなども日本近海へとやってきます。幕府はこうした海外の動きを警戒して異国船打払令を出します
ですが、日本国内でも幕府の政策や対応に批判するものが出てきます。渡辺崋山や蘭学者の高野長英です。彼らは幕府の対応を批判したことで処罰されます(蛮社の獄)。(実際、渡辺崋山は元画家であり開国支持者であったが表立って言ってはいなかったが、幕府批判の文章を役人に見つけられたため処罰された)
諸外国の接近が最終的には開国へと日本を向かわせますが、外からの圧力だけでなく、国内でも幕府に対する批判があったことも大きな原因です。幕府の財政難や各藩の財政改革などで力を持つ藩が出てくることが最終的に幕府政治が終わる原因にはなっています
国内の様子
工業の変化
19世紀ごろから借金で行き詰まる農民の増加や、工業にも変化がみられてきます。
地主や商人などが、出稼ぎなどの働き手を一つの作業場に集めて、作業を分担させて生産する工場制手工業も始められます
工場制手工業←問屋制家内工業←家内制手工業といったモノづくりの変化がみられるということです
都市(大阪での大塩平八郎の乱)
都市には農村からの人が多く移り住んでいたが、農民の農村離れも影響してききんが起こります。それが「天保の飢饉」。飢饉により米が値上がりし、商人により買い占めが行われたりしたことと、同じく、打ちこわしなども増加しました。
大阪では、1837年に大塩平八郎が、役所や豪商に対し挙兵しました。
大塩平八郎は町奉行の元役人であったことから幕府にも衝撃を与えました。ですが、大塩平八郎は儒教のなかでも、陽明学といわれる学問を学んでいました。
この陽明学とは、後の新渡戸稲造の「武士道」などにもみられる信念があります。
この当時、幕府の学問は朱子学。でも、朱子学は上のものが絶対偉いという強烈な縦社会。でも、上の者が悪いことをしているのであれば正すべきという考えが陽明学にはある。
絶対に上の者には逆らえないというわけではないのが陽明学。
挙兵した理由は、
「最近は米の値段がますます上がっているのに、大坂の役人は人の心を忘れて勝手なことばかりしている。それに、江戸の世話はするけど、京都の世話はしないで、大坂の商人ばかりを大切にしている。これはダメなことだ」(大塩平八郎の檄文の要約)
米を食べるためではなくお金を得るために売りまくっていたことから、あちこちで餓死者がでてるのに何もしない役所や幕府に怒っての挙兵です。
この挙兵は、以後も各地に広まっていき、あちこちで一揆が起こりました
天保の改革
老中の水野忠邦です。享保の改革と寛政の改革を見本にしろということで始まりました
- 質素倹約
- 株仲間の解散・・・物価を下げさせる
- 人返令(ひとかえしれい)・・・百姓の出稼ぎ制限
- 上知令(あげちれい)・・・江戸、大坂周辺の土地を幕府の領地にしようとした
言葉としては覚えるのは面倒ですが、特に難しい内容ではありません。これらの中で、上知令を強行しようとしたことから、大名や旗本などから反発にあい失脚していきます
各藩の政策
薩摩藩は借金の整理と砂糖の専売、琉球貿易の独占をすすめることで財政を立て直し、長州藩も、紙の専売や借金の整理をすることで財政の再建に成功します。このような藩の中では
下級武士の改革派が実権を握るようになり、軍事力の強化にも取り組んでいきます。のちに幕府を倒す勢力になっていきます
まとめ
日本の国内外での対応に追われる幕府の改革が上手くいかず、各藩では財政の立て直しに成功している藩もありでパワーバランスが崩れていく。外国船の来航も頻繁になっており、対応が大変な時代でもある。
問題
頻出問題①
日本の沿岸に接近する外国船は、見つけ次第に砲撃し、追い返す。上陸した外国人については逮捕を命じている1825年に出された法令を何というか答えなさい
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2020/01/28/post-1549/
頻出問題②
以下の文章中の空欄に当てはまる都市名を答えなさい
大塩平八郎の乱は、1837年に、○○で町奉行所の元与力大塩平八郎とその門人らが起こした江戸幕府に対する反乱である。
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2020/01/28/post-1552/
頻出問題③
幕府の老中首座水野忠邦が中心となって行なった政治改革の際に発せられた法令で、江戸・大坂の領地を幕府直轄領とし、大名、旗本には代地を与えると定めたものを何というか。漢字3字で答えなさい。
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