江戸の諸改革はここをチェック【中学生のための高校入試対策】

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「げッ!!やっぱり出た・・・」

「復習しとけばよかった・・・」

テストで出てきて「ドキッ!」っとするのが

江戸時代の改革です

入試でも「ドキッ」とせず、自信をもって「江戸時代の諸改革」を解けるように今のうちにポイントを押さえておきましょう

もくじ

なぜ諸改革を理解しておくべきなのか?

江戸時代の改革関係で覚えておく事柄は「全て」と言っても言い過ぎではありません

年代、政策内容、人物・・・

関りのある事柄に関連させた問題などが良く出ます

「なぜ江戸時代の改革が入試に毎回のように出題されるか?」と言うと

江戸時代の諸改革は、出題者側が使いやすい問題なのです

・関連させた複合的な問題が作りやすい(手間)

・覚えているかどうかをはかる基準になる(採点)

・理解の度合いをはかる基準になる(評価)

現在の入試では、グラフや表、説明文などから思考力をはかるために、記述解答をさせる問題も増えてきました

ですが

基本的な知識、知識を正確に理解し、頭の中でまとめられているか?と言った、知っているだけではなく正しく理解しているということは現在でも求められています

なので、今後も江戸時代の諸改革関連の問題は出題され続けるでしょう

だからこそ、正しく理解し、出題傾向を踏まえたうえで知っていることが大切になってくるので、今のうちに押さえておきましょう

江戸時代の諸改革

順番と人物名と基本的な政策は以下です

  • 徳川綱吉 1680年~1709年・・・文治政治。生類憐みの令。湯島聖堂の建立
  • 新井白石 1711年~1715年・・・正徳の治・・・貨幣の改鋳。金銀の流出防止
  • 徳川吉宗 1716年~1745年・・・享保の改革。1716年~1735年(1745年など諸説あり)享保の時期に行われた改革・・・足高(たしだか)の制、上米の制、新田開発、目安箱、小石川養生所など
  • 田沼意次 1767年~1786年・・・運上、冥加金。株仲間を認める。株仲間の公認、専売制の実施、蝦夷地開発、俵物(海産物)の専売による貿易拡大、印旛沼や手賀沼の干拓など
  • 松平定信 1787年~1793年・・・寛政の改革。1787年~1793年の改革(天明、寛政の時期の改革)・・・囲米(備蓄米)、帰農令、棄捐令(借金の帳消)、人足寄場(職業訓練所)、七分積金(修繕などの積立金)
  • 水野忠邦 1841年~1843年・・・天保の改革。1830年~1843年の天保の時期に行われた改革・・・薪水給与令、人返し令、株仲間解散、上知令など

上の順番と人物と政策を覚えれば基本的には大丈夫ですが

もう少し各人物を詳しく知りたいなら下も読み進めてください

徳川綱吉(政治にかかわっていた時期:1680年~1709年)

第5代将軍である徳川綱吉は「生類憐みの令」が有名ですよね

生き物(特に犬)を大切にしましょうという法令です

そもそも生き物を大切にしようという発想は、「儒学」にあります

徳川綱吉は、父である3代将軍の徳川家光から「儒学」を学ぶように言われて育ちました

その甲斐あって、徳川綱吉は後に「湯島聖堂」という儒学の学校(&孔子を祭るお堂)を立てます。この、湯島聖堂は後の幕府直轄学校である「昌平坂学問所」です

それだけ儒学を大切にしていたという事です

この徳川綱吉ですが、子どもが幼くして亡くなったり、男児に恵まれなかったという事もあり、母親が僧侶に相談したところ

「前世の行いが良くなかったからだ。動物を大切にすれば大丈夫、特に犬」

というアドバイスを受け、「生類憐みの令」を発令したと言われています

そういったこと以外にも、当時の世の中が思いやりに欠ける(放火、辻斬り、子どもを捨てる、犬食などなど)世の中だったことも影響しています

荒れた世の中の無秩序を儒学をもって治めていこうという考えが「文治政治」です

「文」は文学の文です。イコール「儒学」のこと

文武両道という言葉からもわかると思います

対する「武」は力です。徳川家康が政権を握ったころは力で抑える政治だったので「武断政治」と言われています

新井白石(政治にかかわっていた時期:1711年~1715年)

新井白石が政治にかかわっていた時代の政治を「正徳の政治」と言います

徳川将軍(6代:徳川家宣、7代:徳川家継)がこの時期、病弱だったという事もあり政治の指揮を執っていきます

新井白石は儒学を基に置いた「文治主義」をすすめます

新井白石の実施した政策の一つが物価が上昇する「インフレーション」に対する「貨幣の改鋳」です。

新井白石以前に「荻原重秀」という人物が勘定奉行を務め幕府の財政をコントロールしていたが、荻原重秀を辞めさせ、貨幣に含まれている金の含有量を以前に戻す「改鋳」が行われた。これがいわゆる「正徳金銀」です

荻原重秀と言う人物は、幕府の財政難のために、金の含有量を減らした小判を発行していました

ですが新井白石は

「金を減らすという事は幕府の権威につながるからダメ」

ということで、荻原以前の金銀に作り直しました

ですが、これが「デフレーション(継続的な物価の下落)」を招きます

なぜデフレーションが起こるかと言うと、単純に貨幣の量が減ったからです

その他、長崎で行われていた貿易で金銀が大量に海外へ出ていってました(日本が支払いで金や銀を使っていたから)

海外への金銀の流出防止するために新井白石は長崎貿易を制限して、輸入品の国産化を進めました(この貿易統制は徳川綱吉も行っていたので真似したともいえる)

徳川吉宗(政治にかかわっていた時期:1716年~1745年)

享保の改革を行った人物、時代劇ドラマの「暴れん坊将軍」で有名

実際、紀州藩(和歌山)にいたころから、城下町を見て回っていたこともあり、そういった経験から江戸幕府の将軍になったときも。庶民の意見を聞く「目安箱」にもつながっている

この庶民の投書である目安箱から「小石川養生所」(貧しい人を助ける施設)の建設にもつながっています

紀州藩が財政難だった頃、「質素倹約」を自ら実施することで、支出を減らすことも行っている

これは、江戸幕府の将軍になっても「質素倹約」をすることで、支出を減らすようにしたことにもつながっている

そもそも現在で言う和歌山県の徳川家ですので、江戸の将軍になったときも、紀州藩の有能な部下を何人も連れてくることはできませんでした

だからこそできてきた政策もあります

それが、「足高(たしだか)の制」です

足高の制とは、能力や素質があるのに家柄が低く重要な役職に就けない状態を解消するために「石高を足す」ということです

簡単に言うと「有能な人材登用」です

石高(給料)が家柄などで低い立場だと、どれだけ有能であっても重要な仕事に就けない、だから、その仕事に就いているときは石高を足してあげることで、重要な仕事に就けたという事です

その他、「お米」関係の政策が多いので、徳川吉宗は「米将軍」とも言われています

お米関係で言うと「上米の制」「新田開発」などがあります

上米の制とは、各藩の大名に石高1万石に対して100石の米を納めさせる制度です

上米の制には見返りもあります。各藩の負担であった参勤交代が半分の期間で済むようになったのです(1年→半年)

各藩の大名は江戸での滞在期間が半減すると、自分の領地に戻って仕事をすることができるし、江戸での滞在費も減らすことができるのでメリットは各藩の大名にもあった

新田開発は読んで字のごとくです。新しい田んぼを作りました

その他、江戸幕府の裁判の基準を示した「公事方御定書」

大奥の解雇(財政立て直しのため)などを行っています

田沼意次(政治にかかわっていた時期:1767年~1786年)

「役人の子はにぎにぎをよくおぼへ」

ワイロなどで有名な老中ですが、世の中がそういった流れだったこともあり、悪いこと(汚職)が好きだったとかそういった感覚ではないので気をつけましょう。実際、さまざまな政策を進めています(良かった悪かったは別としてですが・・・)

田沼意次が政治を進める前には、徳川吉宗が様々な政策を実施していますが、吉宗の政治は「質素倹約」で農民にもガマンを強いることで不満を貯め、米価が安定しない「米本位制」(コメが経済の中心にある仕組み)になっていたので、幕府は常に財政に悩まされていた

幕府の安定しない財政を見て田沼沖次は考えます

「米が中心ではなく、貨幣経済をもっと進めるべきだ」

それまで米の税収もあるが、商人から営業税を取ることで、不安定な自然物(農作物)に頼らない安定した税収を目指した

その一つが営業税である「運上(運上金)」「冥加(冥加金)」である

その他、「株仲間を認める」ことで、モノの値段が安定するように図ると同時に、商人の営業による税収も見込めた。

証人に「専売制」という特権を与えることにより保護することで、安定した幕府の税収につながった

他にも、蝦夷地(北海道)の開発を進めたこともある。この背景には貿易を求めていたロシアの存在がある。貿易を許可しないと密貿易が多くなると考えられたが、実際の調査の結果、密貿易はとても少なく、特に影響しないことからロシアとの通商は無くなった。

また、俵物(海産物)の専売による長崎貿易を進め、銀を輸出品目から輸入品目に切り替え、銀が日本から出ていくのを少なくしている

現在の千葉にある印旛沼や手賀沼の干拓などを進めるが、工事は老中の職を無くしたことにより途中で終わっている

松平定信(政治にかかわっていた時期:1787年~1793年)

「寛政の改革」といわれ、自然災害や飢饉が多発していたこともあり、前代の田沼時代もそうであるが大変な時代であった

1787年~1793年の改革(天明、寛政の時期の改革)で、8代将軍の徳川吉宗の孫にあたる人物でもあるからか、徳川吉宗と同様に「質素倹約」を進めている

その他、徳川吉宗は「米将軍」ともいわれるが、松平定信も米への政策を行っている。

例えば、「囲米」と呼ばれる、飢饉に備えた備蓄米を命じたり、「帰農令」を出すことで農民を都市部から農村へと返した。

農村を復興させる目的で、児童手当なども出している

農村への注力だけでなく、経済的に困っている旗本や御家人(武士)へも救済の手を差し伸べている。それが「棄捐令」(借金の帳消)です

町では「人足寄場」とよばれる職業訓練所を設置し、治安維持もかねた。また、「七分積金」と呼ばれる修繕などでかかる費用を積立金として貯めさせた

その他、思想面では、「寛政異学の禁」といって朱子学以外の学問を禁止するなど、幕府の指導力を取り戻すために学問統制を行っている

ですが、将軍や大奥との対立、武士や庶民の不満などもあり6年で松平定信は老中を辞めさせられている

庶民の不満を歌にしているのが有名です

「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」

「白河藩の松平定信の政治(寛政の改革)はクリーンだけどやりづらいもとの田沼意次の少し汚い政治のほうが良かったな」という歌

水野忠邦(政治にかかわっていた時期:1841年~1843年)

「天保の改革」を進めた老中

1830年~1843年の天保の時期に行われた改革を言うが、この時期はとても大変な時期だった

全国的な凶作、天保の大飢饉、百姓一揆、打ちこわし、大塩平八郎の乱、アヘン戦争(清ととイギリスの戦争)やモリソン号事件(日本の漂流民を乗せたアメリカ商船を砲撃した事件)などが起こり、国内も国外も大変な時期であった

国外への対応として「薪水給与令」を出し、異国船打払い令から外国船を保護する路線へと切り替わっている

国内の経済政策として「人返し令」「株仲間解散」「上知令」「貨幣改鋳」などがある

人返し令とは、都市部へ入ってきている農民を農村へ返す事。理由は幕府の税収の基本は「米」なので、農村で米を作らせるため

また、物価が高くなっていることは「株仲間」がいるからだという事で、株仲間を解散させている。経済の自由化を進めた政策だが、流通を混乱させ、逆に景気は悪くなった

上知令とは、江戸や大阪周辺の土地を幕府の土地にすることだが、大名の猛反対にあい実施されなかった

貨幣の改鋳は、急激なインフレ(物価高)を引き起こし経済が混乱した

といった具合で大変な時期の改革という事もあり、幕府の権威を下げる結果になったところもある。

こういった時期に、幕府は大変であったが、薩摩藩や長州藩は財政再建に成功し力を蓄えることにもつながっている

こういったところから江戸幕府が終わりを迎えることも見えてきそうだ

良く出る出題傾向

入試の問題として出てきやすい形式です。テストでもわからなくて点数が下がるということが防げますよ

  • 内容と人物名
  • 並べ替え問題
  • ピンポイント問題(人物名、政策内容)
  • このころ日本では(世界では)問題
  • 内容と人物名

「18世紀の江戸時代に、株仲間を奨励するが、ワイロなどでの批判から老中を辞めた人物を答えろ」

「ワイロ」というキーワードが出れば【田沼意次】です

「物価の引き下げを狙い、株仲間を解散させたり、外国船には燃料や水を与えるようにさせた政策を進めた人物」

燃料や水を与える「薪水給与令」で【水野忠邦】の天保の改革

「庶民の意見を聞く投書箱を設置し、税収安定のための新田開発や幕府財政の支出を防ぐために質素倹約を進めた人物」

庶民の意見の投書箱は「目安箱」。「質素倹約」は他の改革でも出てくる、新田開発などを行った米将軍【徳川吉宗】の享保の改革

「旗本や御家人救済のために借金を帳消しにしたり、江戸に出稼ぎに来ていた農民を農村へ返す政策を進め、飢饉に備えて米を蓄えさせるような政策を行った人物」

借金帳消しは「棄捐令」、農村へ農民を返すのは「帰農令」、備蓄米は「囲米」で【松平定信】の寛政の改革

「貨幣改鋳を行いデフレーションを引き起こす。海外へ流出していた金や銀を抑えるために貿易の統制をおこなった人物」

【新井白石】ですが、近年あまりテストでは見かけませんが一応押さえておきましょう。

文治政治による幕府の権威回復をはかったじんぶつ。貨幣改鋳によるデフレーションを引き起こしてしまいます

並べ替え問題

並べ替え問題は、人物名も政策名も出さずに、内容だけを書いた文章をいくつか選択肢として選ばせます。

なので、人物名や政策名の順番だけでなく、内容の順番を理解するようにしましょう

覚えるポイントは

  • 文治主義による生類憐みの令(徳川綱吉
  • 文治主義を継続し貨幣改鋳でデフレーション(新井白石
  • 米をコントロールし質素倹約で財政再建(徳川吉宗
  • 米だけでは無理だから貨幣経済で株仲間公認(田沼意次
  • 質素倹約とやっぱり米だろう囲い米(備蓄米)(松平定信
  • 上知令も株仲間解散もうまくいかない、けど外国は怖いので薪水給与令(水野忠邦

キーワードと人物名とがリンクするように理解します

ピンポイント問題(人物名、政策内容)

他の問題文などから「問1 このころ○○○○のような政策を行った江戸幕府8代将軍を答えなさい」といった問題はあります

他の問題に関連させた問題は基本的には一問一答形式になりやすいので比較的答えやすい問題です

ですが、日本の歴史から世界の歴史に絡ませた問題や、世界の問題から江戸時代の特定の時代や政策、人物名を答えさせる問題は難易度が高いです

なので、世界の歴史と江戸時代の日本の様子をリンクさせておきましょう

このころ日本では(世界では)問題

年表をここに乗せると字が小さくなりますが、全体的に眺められる方が理解しやすいと思うので全体的に掲載します

年表は世界の出来事とリンクできるように全体的に覚えましょう

こちらの年表は江戸時代の改革を赤字で、災害関係を青字で書いています

一応スマホの画像表示用でリンクを貼っておきます(パソコンでは見にくいと思いますのでご了承ください)→https://teacherceo-masajirusi.com/wp-content/uploads/2021/05/edojidainennpyou-gazoubann-syukusyou.png

まとめ

今回は、江戸時代の諸改革のテスト対策を紹介しました

おさらいすると

  • 江戸時代の改革関係は入試で必ず出題される
  • 人物と改革名、内容と順番を知る
    • 徳川綱吉 1680年~1709年・・・文治政治。生類憐みの令。湯島聖堂の建立
    • 新井白石 1711年~1715年・・・正徳の治・・・貨幣の改鋳。金銀の流出防止
    • 徳川吉宗 1716年~1745年・・・享保の改革。足高(たしだか)の制、上米の制、新田開発、目安箱、小石川養生所など
    • 田沼意次 1767年~1786年・・・運上、冥加金。株仲間を認める。株仲間の公認、専売制の実施、蝦夷地開発、俵物(海産物)の専売による貿易拡大、印旛沼や手賀沼の干拓など
    • 松平定信 1787年~1793年・・・寛政の改革。囲米(備蓄米)、帰農令、棄捐令(借金の帳消)、人足寄場(職業訓練所)、七分積金(修繕などの積立金)
    • 水野忠邦 1841年~1843年・・・天保の改革薪水給与令、人返し令、株仲間解散、上知令など
  • 並べ替えには内容理解で対応する
  • 世界の出来事と年代を合わせる

ということです

江戸時代の改革を抑えることでテストでの取りこぼしが無いようにしましょう

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