こんにちは
てぃ~ちゃ~Mです
今回は#42【中学校社会科 歴史】室町時代の終わりを紹介します
▼今回の動画はこちら▼
もくじ
まとめ(ノート用)コピペどーぞ(^_^)
①応仁の乱・・・1467年~1477年
原因:有力守護の勢力争いや、将軍の後継ぎ問題
結果:京都が焼け野原、下剋上の風潮、公家の権威低下・守護大名の没落
下剋上・・・下の身分の者が上の身分の者を倒す
土一揆や国一揆の増加
山城国一揆(1485年)
加賀の一向一揆(1488年)
②戦国時代
室町時代後半の約100年(15世紀末~16世紀末)
戦国大名・・・将軍の権威低下、守護大名の衰え、下剋上の風潮で戦国時代に実力で領国を治 めた大名。
〇戦国大名の領国支配・・・・
分国法、城下町。・農業の奨励、商工業者の保護、治水、鉱山開発
勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)
▼ 歴史記事 ▼
本記事の内容:室町時代の終わりごろの様子が分かる
- 応仁の乱
- 戦国時代
応仁の乱
1467年~1477年
原因
有力守護の勢力争い
将軍の後継ぎ問題
結果
京都が焼け野原
下剋上の風潮
公家の権威低下・守護大名の没落
↓
土一揆や国一揆の増加・戦国大名が力を伸ばすことになる
山城国一揆(1485年)
国一揆
国人によって、守護大名の畠山氏の軍を退陣させ、国人が8年支配
加賀の一向一揆(1488年)
一向宗(浄土真宗)が守護を滅ぼし、寄合による自治を約100年続ける
などがある
下剋上
下の身分の者が上の身分の者を倒す
戦国時代
室町時代後半の約100年をさしていう(15世紀末~16世紀末)
戦国大名登場の時代背景
- 将軍の権威低下
- 守護大名の衰え
- 下剋上の風潮
- 荘園が武士に奪われる
実力で領国を治める、力のあるものがどんどん出てくる時期
戦国大名とは、日本の戦国時代に大小の領域を一元的に支配した大名のことで
守護大名から戦国大名となった
武田(甲斐)、今川(駿河)、大友(豊後)、島津(薩摩)などなど
その他
守護大名を追い出して領国を支配するようになった
上杉(越後)、織田(尾張)、毛利(安芸)などなどほかにもたくさんいる
戦国大名の領国支配
分国法
領国の独自の法律。家臣や領国を支配・統制
城下町
大名の居城を中心に発達した町。家臣や商工業者を集める
その他
農業の奨励、商工業者の保護、治水、鉱山開発
基本、大名は地域の住民や家臣を飢えさせてはいけない
お腹が空いている状態だと、ほかの地域の方がいいやと逃げていく
だから、領国支配はお金儲けと、住民の暮らしを考えた地域経営がとても重要だった
土木技術も同じで、日本は台風がよく来るし、雨もよく降る。雨が降ると山がちな日本は、早々に川があふれだす。そういったときに、備えて水をコントロールする力、治水工事などがしっかりできないと住民が暮らしにくくなってしまう。だから、各地の大名は土木技術に優れた人が多かった。
戦国大名ではないが、豊臣秀吉も「水攻め」といって水を駆使した戦術を使っていたが、これも、高等な土木技術が使われていた。
頻出問題①
京都を戦場とし、1467年から約10年にわたっておこなわれた将軍の後継ぎ問題や、有力守護の勢力争いなどを含めた戦乱を何というか答えなさい
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/11/26/post-891/
頻出問題②
下の身分の者が上の身分の者を倒す風潮を何というか漢字で答えなさい。
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/11/26/post-894/
頻出問題③
戦国大名が、家臣や領国を支配するために、領国独自の法律を用いた。この法律などを何というか答えなさい。
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/11/26/post-897/
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