#15【中学社会 歴史ノート】古墳時代 東アジアの4~6世紀

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てぃ~ちゃ~Mです

今回は、#15「古墳時代の東アジアの様子4~6世紀ごろ」を紹介します

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もくじ

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① 4世紀ごろ   

大和王権の成立。高句麗VS日本~好太王の碑文(倭を破る)。倭国は百済と結ぶ

渡来人により様々な文化がもたらされる

② 5世紀ごろ    

漢字や儒教の伝来(文字や手紙での記録)    

宋とのつながり~「宋書」倭国伝

・・・倭の五王が宋に使い。武の手紙と鉄剣で大王の支配力。

③ 6世紀ごろ     

鉄剣・・・稲荷山古墳(埼玉県)や江田船山古墳(熊本県)

仏教伝来・・・仏像や経典

隋(ズイ)がおこる(589年)・・・煬帝(初代は楊堅)。律令を制定。科挙の実施

全体を通して、幅関わりが当時でもおこっており、戦いや文化交流などがすでに始まっていることは押さえておきましょう。

勉強の参考にどうぞ(^_^)

▼ 歴史記事 ▼

本記事の内容:古墳時代の東アジアの様子を知る

  • 4世紀ごろ
  • 5世紀ごろ
  • 6世紀ごろ

世紀の表し方のおさらいはこちら↓

4世紀ごろ

  日本のでき頃ととしては、大和王権の成立があった。そんな日本(当時は倭)が、高句麗へ攻めていった~日本を破った好太王の碑文(王が倭を破る)

倭国は百済と結ぶが、百済との場所は覚えておきましょう。そんな仲良くなった百済や伽耶などの大陸からの移住者である渡来人により様々な文化がもたらされる

5世紀ごろ

         漢字や儒教(孔子の教え)が伝わってくる。→文字や手紙での記録

宋とのつながりを示す、中国の歴史書である「宋書」倭国伝がある。内容は・・・倭の五王が宋に使いを送る

武の手紙に「東は55、西は66国を支配」とあり、武の支配力の強さが歴史書にもあるが、それだけでは不十分。やっぱり証拠があった方がいいです。その証拠が、鉄剣です。

鉄剣の存在が雄略天皇の支配の強さを示しています。稲荷山古墳(埼玉県)から江田船山古墳(熊本県)まで広い範囲を支配していたと考えられる。

武(倭の五王の一人、倭王武=ワカタケルオオキミ=獲加多支鹵大王(鉄剣の字)=雄略天皇)

6世紀ごろ

高句麗と百済の関係改善にともない倭(日本)も文化交流が盛んになる。

百済から仏教が日本に伝わる・・・寺の建築や仏像が作られ、仏教が広まる。拝むものがある方が人はやりやすいから広まりやすくなった。以前から仏教はあったが本格的に広まっていくことになる。

 補足:この仏像文化はヨーロッパのヘレニズム文化とのつながりもある。

 中国では、宋が滅んで隋(ズイ)がおこる(589年)。その隋の2代皇帝の煬帝(ようだい)(初代は楊堅)。が律令を制定していく。それと科挙の実施。科挙とは役人採用試験です。儒教に関わる問題が出る。

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