こんにちは
てぃ~ちゃ~Mです
今回は#86【中学校社会科 歴史】「戦後の日本が国際社会へ復帰していく流れ」を紹介します
もくじ
ノート用まとめ
国際社会への復帰
サンフランシスコ講和会議
・サンフランシスコ平和条約(1951年調印、1952年発効)
~日本の独立回復。朝鮮の独立。台湾、千島、南樺太の放棄。沖縄、小笠原などアメリカの統治を続ける
・単独講和or全面講和(世論)
~西側諸国(資本主義側)との調印。東側は調印せず。不参加国もある
・日米安全保障条約
~安保条約。1951年。・・・米軍の日本駐留、基地の使用継続
・ソ連との外交
~日ソ共同宣言(1956年)・・・国交回復するも領土問題は残る
・国際連合への加盟~1956年・・・中国との国交は回復せず(1970年に回復)
勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)
▼歴史記事▼
本記事の内容:第二次世界大戦後の日本が国際社会へ復帰していく流れがわかる
サンフランシスコ平和条約
問1、1945年は何が終わった年か?
A、第二次世界大戦
問2、第二次世界大戦は国民も物資がない中で生活していましたが、通常ルートではなく、仕入れたものが並ぶ市場がありました。それを何というか?
A、闇市
問3、貧しくて大変な日本に、GHQの財務顧問も厳しかった。財務顧問ドッジの言葉
「戦争に負けたんだから貧しくて当たり前だ。政府の補助金もカットするように」
当時の内閣は「吉田茂内閣」。首相である吉田茂もドッジの言葉にOKしたのか?
A、仕方なしの強行(結果公務員26万人がクビ)
問4、国民は吉田内閣を支持したのか?
A、指示しない(企業の倒産も増える)
問5、たけどそこに好景気がやってくる。1950年に朝鮮半島で起こった戦争は?
A、朝鮮戦争
問6、朝鮮戦争での日本の好景気を何というか?
A、特需景気(朝鮮特需)
問7、朝鮮戦争において日本はアメリカにとってどんな存在か?
A、基地もある、物資の補給もしてもらう、社会主義の広まりを防ぐ、、、大切な存在
問7、日本が社会主義国になるのはマズいので独立させて、資本主義の国々と条約を結んでアメリカの見方にしようと結ばれた条約が?
A、サンフランシスコ平和条約(1951年)
日本国内でもすべての連合国と講和を結ぶべきという批判もあった
問8、ここに調印しなかった、できなかった、参加しなかった国は?
A、中国やソ連、インドなど
アメリカは日本に領土を返していないじゃないか・・・
アメリカ側(資本主義)の国として独立することに反対だった・・・
という事は日本は安全な状態なのか・・・?安全ではないかもしれない・・・
そこでアメリカと結んだ条約が「日米安全保障条約(安保条約)」です
日米安全保障条約
1951年に結ばれた、日本の安全と東アジアの平和を守るという理由、日本国内の軍事力では不十分として、引き続きアメリカ軍が残ることや、基地や空港などを使用することを認める日本とアメリカとの間の条約です
この条約に関して国内でも意見が分かれました
ある大学教授は「連合国の資本主義側とだけ講和をするのはおかしい」
吉田茂のやっていることは「曲学阿世」だ。(学問の心理に背いて世間に気に入られるような政策にすること)
それまでの日本の対応もありました
「警察予備隊」です後の「自衛隊」ですが、警察予備隊は1950年に組織されましたが、これも、GHQの方針が影響しています
日本は本来、日本国憲法で「いかなる戦力も持たないこと」を明示していました
ですが、共産主義(社会主義)の勢力がアジア大陸で盛んになると日本の再軍備を要求してきたわけです
こういった対応や方針に対して反対したのが日本共産党です
そもそも、共産主義はみんなで働いて国を豊かにしようという考えがあるので、軍隊に人を使うのではなく、労働力に人は使うべきだと考えているので軍備には反対しています
その、日本共産党に対して「レッド・パージ」(赤狩り)を行い弾圧します
逆に賛成側は、自民党になります。自由民主党ですね。
この自由民主党には自由党と日本民主党が合同してできた政党です
政権を担当する自民党と、社会党などの野党が対立する政治体制ができるのもこの頃で、1990年の前半ごろまで続く体制になりました(55年体制)
日本とソ連
日ソ中立条約という第二次大戦中(太平洋戦争、日中戦争)時に結ばれた条約がありました。
日本が南進(東南アジア方向へ群を進める)をするために北側を安全にしておこうとソ連と結んだ条約です。
ですが、この条約は連合国のヤルタ会談、ポツダム会談による、ソ連の日本への宣戦があり条約は破棄されています
戦後も、アメリカの統治下にあるためソ連との外交は進みませんでした
ですが、1948年に日本とソ連の間でシベリア抑留日本兵を送還してもらいました。でも、外交は進まないままです
連合国の国々と、全面講和といきたいところだが、中華人民共和国の成立や朝鮮戦争などによるレッド・パージもあって対日関係が悪化する
アメリカ以外の国も国際社会への復帰上大切にしたい・・・
ですが、いろいろな変化が各国で起こります
1953年に、ソ連では権力者であったスターリンが死去
同年で、朝鮮戦争が休戦になり
1954年には、アメリカ寄りだった吉田内閣が退陣し、アメリカ以外の国も重視する「鳩山一郎内閣」になりました
日本が国際社会に復帰するためには必要なものがソ連との外交です
なぜか?
ソ連は国際連合における常任理事国です
常任理事国は「拒否権」を持っています
国際連合安全保障理事会において拒否権を持っている強い国であるソ連との国交回復は、日本が国際連合へ加盟するためには必要な外交だったという事です
その後日本の大臣が交渉を重ねて「日本とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」=「日ソ共同宣言」が署名されました(1956年)
この「日ソ共同宣言」により、日本とソ連とでは国交の回復になります。ですが、残ったのが「北方領土問題」この課題は先送り(後日にまわす)になりました
同じ年の1956年、日本は国際連合に加盟が認められ国際社会復帰を果たします。
問題
頻出問題①
アメリカ合衆国のサンフランシスコ市において署名されたサンフランシスコ平和条約。1951年に全権委員によって署名され、同日、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約も署名された。翌年の1952年に発効するとともに公布された。
この条約の調印を行った日本の当時の首相を答えなさい
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/08/02/post-2400/
頻出問題②
日本の安全のため、アメリカ合衆国が関与し、アメリカ軍を日本国内に駐留させることや軍事上の施設の使用などを定めた日本とアメリカとの条約を何というか。漢字8字で答えなさい。
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/08/02/post-2403/
頻出問題③
1956年に日本国とソビエト連邦がモスクワで署名し、同年に発効した外交文書(条約)。これにより両国の国交が回復、関係も正常化したが、領土問題は先送りされた。
これを何というか下に当てはまる空欄の語句を答えなさい
【日ソ○○○○】
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