こんにちは
てぃ~ちゃ~Mです
今回は#88【中学校社会科 歴史】「平和と安全と経済成長」を紹介します
もくじ
ノート用まとめ
原水爆禁止運動
1954年・・・アメリカによるビキニ環礁での水爆実験→死の灰→第五福竜丸の船員被曝
1955年・・・第一回原水爆禁止世界大会が広島で行われる
55年体制
GHQの政策転換に賛成・・・自由党と民主党が合体し自由民主党
1960年・・・岸信介による新安保条約調印で退陣
1960年・・・池田勇人内閣「所得倍増計画」
1950年終わりごろ~1970年代初め頃~高度経済成長
1964年~東京オリンピック。新幹線の開通
1968年~国民総生産(GNP)世界2位
1974年~オイルショック(石油危機)
1986年~バブル景気(バブル経済)・・・1990年ごろまででそこから不景気になる
1989年~平成元年。消費税導入(3%)
1993年~細川内閣の成立・・・自民党内閣ではない内閣により55年体制が終わる
公害問題、政治家の汚職事件、過疎や過密、ゴミ、住宅問題などの社会問題も出てくる
勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)
▼歴史記事▼
本記事の内容:中学社会の歴史の終盤「平和と安全と経済成長」について
平和と安全
核兵器
1951年にサンフランシスコ講和会議がひらかれ結ばれた条約が「サンフランシスコ平和条約」です(1952年に発効)
この条約で日本は独立を回復しましたが同時に「日米安全保障条約」を結んでいます
日米安全保障条約により米軍の駐留と基地が残りました
アメリカとソ連は「冷戦」中
そんな中でアメリカは核開発を続けており、ついに悪魔的な兵器が完成します
「水素爆弾」です
「原爆」は原子爆弾。これはあなたも知っていると思います
8月6日に広島へ、9日には長崎に投下された甚大な被害をもたらした「核兵器」です
日本は後に「非核三原則」を提唱します。「持たず、作らず、持ち込ませず」ですね
そもそも原爆開発(マンハッタン計画と言いますが)では、第二次世界大戦中にナチスドイツの核開発があります
ナチスドイツ、枢軸国ですが、枢軸国の核開発に危機感をもったアメリカ中心のいくつかの国が集まって始めた核兵器開発がスタートです
日本への投下のあと日本はポツダム宣言を受け入れて戦争は終わりますが、日本の戦争は終わっても、世界ではそこから始まった戦争もあります。それが冷戦ですね。
アメリカもソ連もどんどん核開発が進んで、爆撃機(飛行機)に搭載可能なまで小型化とより強力な破壊力を持たせることにも成功している
ちなみに、1967年には中華人民共和国が、2016年には北朝鮮が水爆実験を行い成功している・・・
水素爆弾(略して水爆)も核兵器です
ですが、原爆よりも威力が強い核兵器で被害が出たのが日本です
1954年のアメリカの水爆実験で、太平洋上のビキニ環礁というところでアメリカは水素爆弾の実験を行いました
この実験で日本の漁船の「第五福竜丸」などが「死の灰」(放射能を含んだ物質)をあびて被曝した
この時の破壊力は広島に投下された原子爆弾の約1,000倍・・・
こうした核開発の動きに対して核兵器の禁止を呼びかける運動は世界中から署名が集まり5億にも達しています
日本国内でも「原水爆禁止運動」がおこり、1955年の8月に第一回原水爆禁止世界大会が広島で開かれました
原水爆の禁止や被爆者を守ろうという目的です
政府の役割
政府の役割とは?
国民を守り、国を豊かにすることでしょう
1960年にある条約が改定調印されます
「新日米安全保障条約」です(日米安全保障条約の改定)
日米共同の軍事行動や軍備の増強がメインテーマなのですが、これは良いのでしょうか?
日本は憲法(日本国憲法)で第9条「戦力の不保持」と言っています
これには、政府内でも意見が分かれて、憲法どおりに軍隊、自衛隊も持たないようにしようと考える人、逆に、憲法を改正して軍隊を作ろうという人もいました
この「新安保条約」は強行採決されましたが、当時の岸信介内閣は退陣します
岸信介の次に「池田勇人(いけだはやと)」が内閣総理大臣になります
池田勇人がとった政策は、憲法の改正でもなく、自衛隊をなくすでもなく、国を豊かにしていこうという政策でした
経済成長
所得倍増計画
1960年代にはいると日本の経済はさらに発展します
重化学工業の投資が増え、日本各地に大きな石油化学コンビナートが作られたり
機械工業も盛んになり、電化製品や自動車の生産もどんどん増えました
このころ電気洗濯機や冷蔵庫、テレビが三種の神器といわれて売れました
輸出も好調になり貿易では黒字(輸入額より輸出額が多い)が続きます
工業が盛んになり農業離れが多くなって、都市部への人口集中による過密化がすすみ、住宅不足やごみ問題も出てきます
逆に農村部では人口流出による過疎化が進むという新たな社会問題がでてきます
こういった急激に日本の経済成長がみられた1950年代から1970年前半ごろまでを「高度経済成長(期)」といいます
こういった経済の成長は、まだ、環境に関心が低かった日本において「公害」という問題を引き起こします
公害に対し住民は反対運動を行い、政府は1967年に公害対策基本法を制定します。1971年には環境庁(現在の環境省)を発足させ公害防止と環境保護を進めています
その他の出来事も含めて略年表にすると
1960年~池田勇人内閣発足・・・所得倍増計画
1950年終わりごろ~1970年代初め頃~高度経済成長
1964年~東京オリンピック。新幹線の開通
1968年~国民総生産(GNP)世界2位
1974年~オイルショック(石油危機)
1986年~バブル景気(バブル経済)・・・1990年ごろまででそこから不景気になる
1989年~平成元年。消費税導入(3%)
1993年~細川内閣の成立・・・自民党内閣ではない内閣により55年体制が終わる
55年体制・・・1955年に成立した自由民主党(自民党)が与党で政権を維持していた体制
日本がお金をもっていたという時代です
そこには技術の革新もあります
池上彰の「経済学」講義1 歴史編 戦後70年 世界経済の歩み (角川文庫)その他
1970年にアメリカで排気ガスを規制する法律「マスキー法」ができました
アメリカの企業は「そんなの無理」だと言って取り組まずにいたのですが、日本のある企業が「よし、やってやろう」と取り組みました
それが「HONDA」です
ホンダが開発したエンジンがCVCCといって、排ガスが少ないのと燃費が良くなりました
社長は言います「やった、これで売り上げが上がるぞ」
ですが社員の言葉は違いました
社員は「社長、我々は少しでも空気がきれいになることを願ってエンジンを開発したのです」と
その結果シビックという車種が生まれました
もう一つ
ルノワールという画家の作品にこういったものがあります
ムーランドラギャレットと言いますが、1990年に日本の製紙会社の社長が購入しました。その額119億円(史上2位の高額な落札価格だったようです)ちなみに1位の落札価格は125億円でこれも日本人がバブル経済の時期にゴッホの作品を購入しています
問題
頻出問題①
1955年の8月に行われた原水爆禁止世界大会は日本のある都市で行われている。どこか答えなさい。
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/08/03/post-2451/
頻出問題②
日本経済が飛躍的に成長を遂げた、1954年12月から1973年11月までの約19年間。この間には「神武景気」や「岩戸景気」、「オリンピック景気」、「いざなぎ景気」などの好景気が立て続けに発生した。このように経済が継続して拡大することを何というか答えなさい。
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/08/03/post-2454/
頻出問題③
日本の経済成長は、石油を輸入することで支えられていたが、1973年にアラブ諸国のとった石油戦略により日本にも影響があった。この時期から、日本の高度経済成長は終わりをつげ、重化学工業から機械工業や精密機械の産業が中心になっていきました。
文中のアラブ諸国の石油戦略によっておこった経済混乱をカタカナで何というか答えなさい
コメント