#30【中学校社会科 歴史ノート】鎌倉幕府

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こんにちは

てぃ~ちゃ~Mです

今回は#30【中学校社会科 歴史】鎌倉幕府を紹介します

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もくじ

まとめ(ノート用)コピペどーぞ(^_^)

①白河天皇→白河上皇になって院にて政治(院政)

②天皇と上皇がもめる戦乱に武士が参加(保元の乱、平治の乱)

③平治の乱で勝利したのが平清盛

④平清盛の取り組み

 1,太政大臣になる

 2,日宋貿易→大輪田泊(神戸港)を修築

 3,多くの知行国をもつ→特定の国を治める権利を獲得し収益を得た制度

武士でありながら貴族的な政治を行った人物

勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)

▼ 歴史記事 ▼

本記事の内容:鎌倉幕府の仕組みを知る

  • 源頼朝と平氏の滅亡
  • 鎌倉幕府
  • 御恩と奉公

後白河上皇、源頼朝、源義仲(木曽義仲)、源義経、壇ノ浦の戦い、1185年、征夷大将軍、1192年、奥州藤原氏、鎌倉幕府、将軍、執権、六波羅探題、守護、地頭、御恩、奉公、封建制度、御家人、

今回のキーワードです

源頼朝と平氏の滅亡

平治の乱(1159年)でもめたのが平清盛と源義朝(+源頼朝)

その前の保元の乱(1156年)で活躍した武士が混乱している政界へ進出したが、武士同士でもめた争い

平治の乱で勝利したのが平清盛

源頼朝は伊豆へ島流しになったが、関東の武士、豪族に助けられ後に、伊豆で挙兵。

源義仲は平氏を都(京都)から追い出し、源義経らも平氏を追い詰める

壇ノ浦の戦い(1185年)で平氏を滅ぼすこととなる

【補足】

義経は頼朝を討つよう後白河法皇にそそのかされ、頼朝に返り討ち、義経は奥州藤原氏のもとへ行き保護されるが、頼朝は義経を引き渡すように命令する。奥州藤原氏は初めは引き渡さなかったが、子どもの代になると頼朝との関係を重視し義経を追い詰める。奥州藤原氏に追い詰められた義経は自害。奥州藤原氏も頼朝によって滅ぼされる。

鎌倉幕府

1192年に征夷大将軍になった頼朝をトップとする組織

覚える役職

執権

六波羅探題

守護

地頭

御恩と奉公

御恩と奉公(ごおんとほうこう)

中世、武士の主従関係を構成した体制。 中世の武士間の主従関係は、一方的に「あげる」だけなく、主人・従者がお互いに利益のある関係で成り立っていた。

主人が従者へ与えた利益を御恩といい、従者が主人へ与えた利益を奉公といった

その従者が武士であり、幕府と主従関係のある武士を「御家人」と呼ぶ

御家人(武士)が地頭などになり農民を支配

この御恩と奉公の関係のある封建制度で成り立っているのが鎌倉幕府。

頻出問題①

平氏一族が1185年に、源氏に滅ぼされた現在の山口県にあたるところでの戦いをなんというか

答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/11/09/post-543/

頻出問題②

1192年、源頼朝が天皇により与えられた役職を漢字5字で答えなさい

答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/11/09/post-546/

頻出問題③

鎌倉幕府の仕組みには、主従関係が土地のやり取りによって結ばれている封建制度で成り立っているが、将軍と武士とが主従関係を構成した体制を何というか。以下に当てはまる漢字2字をそれぞれ答えなさい。

【○○と○○】

答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/11/09/post-549/

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