#69【中学校社会科 歴史ノート】明治時代の条約改正と帝国主義

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てぃ~ちゃ~Mです

今回は#69【中学校社会科 歴史】「欧米の帝国主義と明治時代の条約改正」を紹介します

▼今回の動画はこちら▼

もくじ

ノート用まとめ

帝国主義・・・欧米諸国が軍事力を背景にアジアやアフリカを侵略。互いに対立。

列強の世界分割

井上馨(いのうえかおる)外務大臣・・・1879年~87年

ノルマントン号事件・・・1886年。イギリス船のノルマントン号が和歌山沖で沈没。イギリス人船長と乗組員は脱出するが、日本人の乗客は全員なくなるが、船長は治外法権による領事裁判で軽い罪で済んだ。

陸奥宗光~1894年・・・日英通商航海条約~治外法権の撤廃。イギリス側はロシアの南下政策への対策として。

小村寿太郎~1911年・・・日露戦争で勝利したこともあり、関税自主権の完全回復に成功。

勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)

▼歴史記事▼

本記事の内容:明治時代になり、日本がどのような国際情勢の中で条約交渉を進めていったかがわかる

日本が近代化を進めている中で、世界は工業化がすすみ世界進出していきます。

その背景には「啓蒙思想」があります。

(参考:▲you tube授業動画「啓蒙思想と革命」▲

暗いところに明かりを照らすという意味を持つこの言葉。

絶対王政みたいな支配の中では言葉にも納得感はあると思いますが、欧米諸国が侵略を広げる理由にも使われたとしたらどうでしょうか?

暗いとは未開地を指します。簡単に言うと工業化が進んでいない国

明かりを照らすとは、植民地化して統治することで文明社会、工業化を進めてあげるという事を意味します

未開地に明かりを照らすことはよいことだ。だから支配してあげようという意味です

完全に人間はみな平等という考えから外れていますね。

でも当時は当たり前だった。なぜかというと、「奴隷は言葉をしゃべる道具だ」ぐらいで考えていたからです。

もう一つ。帝国とは、いくつかの地域の集合体のことです。でも、力でしたがわせているのが実情ですが逆らうと、なんだかんだ理由を付けて戦争になってしまいます。因縁のつけ方でひどい例がアヘン戦争ですね(参考▲アヘン戦争▲

工業化が進んでいない地域を武力ででも支配する。これが帝国主義です。

帝国主義時代

はじまりは19世紀後半、20世紀初ごろ

帝国主義とは、欧米諸国が軍事力を背景にアジアやアフリカを侵略することですが、欧米諸国も互いに対立しています。

どういった支配があるかというと

  • 独占資本・・・少数の大企業・銀行が経済を支配
  • 商品を輸出・・・工業製品
  • 資本を輸出・・・鉄道、鉱山、農園、工場を経営

独占資本・・・工業化が進むという事は、機械を買うのにお金がいるという事。お金は銀行から借りるが、強い大企業がお金を借りて物を作る。そうすると小さな企業は競争に負けたりで消えていく。大企業が生き残りさらに生産を拡大していくこと。(銀行も大企業にお金を貸すことで産業資本と結びつく。これを金融資本という。)

この独占資本と国家権力が結びつくことで帝国主義の基本となっていった。植民地として支配することで、商品の輸出先になり、原料の調達地になり、資本家が植民地に工場や農園を作り支配し、植民地は全部吸い取られていくことになる。

列強の世界分割

  • イギリス・・・エジプト(スエズ運河)、インド、南アフリカ
  • フランス・・・北アフリカ
  • ドイツ・・・・東アフリカ
  • アメリカ・・・フィリピン、パナマ運河

このような欧米諸国がアジアやアフリカを植民地化していく動きが帝国主義

日本の条約改正

諸外国に列強が植民地化されている動きもあり、日本は近代国家を目指すうえでは、欧米列強と対等にならなければならない

そのためには不平等条約の改正がひつようでした

でも、いきなりは無理だから少しずつ・・・

井上馨(いのうえかおる)

1879年~87年の年外務大臣

  • 欧化政策・・・鹿鳴館時代。欧米文化をまねる
  • 外国人裁判官任用案・・・国民の反対

ノルマントン号事件・・・1886年。イギリス船のノルマントン号が和歌山沖で沈没。イギリス人船長と乗組員は脱出するが、日本人の乗客は全員なくなるが、船長は治外法権による領事裁判で軽い罪で済んだ。

この事件から国内では条約改正を求める声がより一層高まりました

陸奥宗光

1894年の外務大臣

日英通商航海条約にて治外法権の撤廃。

これはイギリス側の思惑もある

イギリスはロシアの南下政策への対策として日本と手を結んだ。その当時ロシアは港を求めて南へと向かっていた。ロシアは言わずと知れた寒い国。冬は港も使えない。それだと困るので凍らない港(不凍港)を求めていた。それがロシアの南下政策。

もうひとつ、一部の関税自主権も認められるような内容です。(完全ではありませんが)

小村寿太郎

1911年の外務大臣

1904年~05年にかけてのロシアとの戦争、日露戦争で勝利したこともあり、欧米諸国にも認められ関税自主権の完全回復に成功。

小村寿太郎―近代随一の外交家その剛毅なる魂

まとめ

列強の世界進出に対抗するために日本も取り組んだ。情勢が重なったこともあるが、日本の外交努力の結果も大きい。

帝国主義による世界の分割と戦争への道のりが着々と進んでいた

問題

頻出問題①

軍事力を背景に他国を植民地や従属国にかえるような政策を何というか。以下空欄にに当てはまる語句を答えなさい

【○○主義】

答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2020/02/14/post-1982/

頻出問題②

1892年第2次伊藤博文内閣の外相に就任し,1894年治外法権を撤廃(条約改正)した人物は誰か。以下から選び答えなさい。

【 岩倉具視 大隈重信 陸奥宗光 小村寿太郎 】

答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2020/02/14/post-1985/

頻出問題③

1911年に関税自主権回復による不平等条約の完全撤廃を実現した外務大臣(外相)を以下から選んで答えなさい。

【 岩倉具視 大隈重信 陸奥宗光 小村寿太郎 】

答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2020/02/14/post-1988/

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