元中学教師が伝える本物の先生の条件【学校再開そのままで大丈夫?】

雑記

こんにちは

てぃーちゃーMです

学校が再開している地域も出てきましたが

授業が進んでいないからと、そのまま授業に入っていって大丈夫でしょうか?

生徒たちへの心のケアは十分でしょうか?

長期の休みだから傷ついた生徒もなかにはいるでしょう

生徒を心からサポートしていくためには

あなたが変わる必要があります

この話を読めばあなたは変われます

なぜか?

【本物の教師とはどういった存在かがわかる】からです

結論から言います

一人の人を本当に大切にできる人かどうか?

それが本物の教師とそうではない教師とを分ける決定的な違いです

一人の人を本当に大切にできるか人かどうか?なんてわかりきっていると思うかもしれませんが少しだけお時間をください

そもそもですが

教師とはどういったことをする存在か?に関して

私も以前説明しています

“業務的”なところを

  • 指導力
  • 保護力
  • 授業力

それぞれ

  • 指導できる力
  • 優しく守る力
  • 授業をする力

これらはあくまでも業務的なところです(参考:【学生・保護者必見】1年目の教師が持つべき3つのモノ【教師の資質】)

では

教師とは何なのか・・・

あんたは人の死に出会ったことはあるでしょうか?

おそらくあると思います

あなたも自分の身内

あるいは近い存在を亡くしているかもしれません

本当につらいですよね

なぜこんな話をしているかと言うと

教師をやっていると

出会いたくはないのですが

出会う事があるのが

「生徒の死」です

生徒の死

こういった出来事から自分自身の行動を変えられるかが大切です

関わった生徒の命が亡くなってしまうことほど悲しい出来事はありません

たとえ、卒業していたとしてもです

自分の身内の関係性は、親として、子として、兄弟として、いとことして、いろいろあります

ですが、教師も教師としての関係性があります

教師という立場からの悲しさや悔しさがこみあげてくるのです

悲しさは誰もが心に覚えるでしょう

ですが同時に悔しさも覚えるのです

病院に入院し続けていて、本当にたまにしか登校できていなかった

クラスの生徒なのに体に不自由なところがあるから特別学級で多くを過ごさなければならなかった

「もっとクラスで取り組んでやれたのではないか・・・」

「もっと自分がサポートしてあげられたのではないか・・・」

「入院中も授業を教えたりできたのではないか・・・」

保護者の方は「ありがとうございました」と言ってくださるのですが

何も出来ていないと感じる自分自身に「ありがとう」は勿体なすぎました

私事になってしまいましたが

関りのあった生徒ほど自分がもっと何かしてやれたのではないかと

悲しさと同時に悔しさで胸がいっぱいになります

心の変化は行動を変える

あなたは出会っていないかもしれませんし

できるなら悲しい出来事には出会わないほうがいいでしょう

悲しい出来事に出会うから人間の行動が変わるのではありません

人は学べる生き物です

体験したことのないことであっても、あたかも、自分が体験したかのように「感じる心」「共感する心」は育てることができます

人は多くのことを体験から学びます

何かを覚えるのもマネをするのが一番早いです

ですが、体験しても行動が変わらなければ学びにはつながりません

逆に言うと、行動が変われば学びにつながります

では行動をどう変えていくのか?

以前にも紹介したのですが

思いの種をまき、行動を刈り取り

行動の種をまいて習慣を刈り取る

習慣の種をまき、人格を刈り取り

人格の種をまいて人生を刈り取る

by サミュエル・スマイルズ

思いは人格を変えるのです

そして人生を

教師にとって「生徒の死」という悲しい思い出が教師の人生を変えるわけではありません

教師自身が行動を変えることによって教師の人生が変わります

私自身どういった心の変化があったかをいくつか紹介します

生徒にとって教師がどういった存在であるべきか?が変わりました

以前は、「言う事を聞かない生徒はいう事を聞かす」怖いと思われる存在だったのですが(今考えるととても野蛮です)

そこから、もっと温かい存在になろう、生徒の心のサポートをもっとしようと考えるようになりました

私が学生時代に多くを成長させていただけた機会がありました

麻雀を通してなのですが、雀鬼会という麻雀道場が大阪にあり、そこに何度か足を運んでいたのですが、雀鬼こと「会長(桜井章一さん)」の著書から多くを学びました

その一つに「心温かきは万能なり」という言葉があります

そこから、パスカルの言葉に繋がりました

カなき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。力なき正義は反抗を受ける。なぜならは、つねに悪人は絶えないから正義なき力は弾劾される。それゆえ正義と力を結合せねばならない。

パスカルとは「人間は考える葦である」のフランスの哲学、物理学、数学など様々な分野での人です(パスカルの定理などが数学で聞いたことがあるのではないでしょうか)

力には温かさがあってはじめて意味のある物だと気づきました

そして、生徒一人一人は壊れやすいガラスのような存在だと、どんな生徒に対しても思うようになりました

なぜかというと、生徒からすると、生徒同士であっても、対教師であっても人と接することに変わりはありません

もしかすると、ある生徒の一言が、教師の一言が、生徒自身を傷つけ、最悪の結果を招くかもしれないという「恐れ」もありました

ですが、どちらかというと、普段、生徒たちの笑顔を見て自分も笑顔でいると、「恐れ」はほとんどなかったです。温かくなってサポートしていこうという思いが強かったです(ですが、決して甘えさせるのではありません。時には叱ることもしばしばありました)

教師として本当に大切にするべきは「自分自身」ではなく「生徒」たちなのだと気付いた時期でした

そう思えるようになると行動は変わります

生徒をほめる機会も増えましたし無理にでも増やしました

生徒が違う生徒に「ありがとう」と言っていた、という事を終わりのホームルームで発表してみんなで拍手を送る

「ありがとう」を言うのは当たり前かもしれませんが、当たり前を当たり前ではなく意識させることを目的としたことでもあるし、終わりのホームルームで発表と拍手をすることで、みんなが温かいうれしい気持ちで一日を終われる

これって生徒の心のサポートではないでしょうか?

もちろん一人一人への声掛けも意識するようになりましたし、顔もよく見るようになりました

心が変われば行動は変わるのです

大切にしなければならない存在

色々教えていただける存在です

私は今でも心から感謝しています

それはあなたの周りの教師たちです

自分より先輩だろうが後輩だろうが一人の人間として様々な経験をして隣にいます

そういった人生を共感し、学びのお手本とできる存在があなたの周りにいます

周りの教師が困っているときは率先して手伝いましょう

周りの教師が授業中に言う事を聞かない生徒に手を焼いている場面に出くわすかもしれません、授業のない空き時間であっても校内を見て回りましょう

私も最後の教師生活で本当に素晴らしい先生方に出会えました

中でも印象的だった先生の言葉をお借りします

卒業式の前日の最後の学年集会での言葉です

「みんな、何があっても自ら命を絶つようなことはしないで」と

「何かあったらいつでも来なさい」と

その先生の体験したことのようです(詳細は失礼かと思い聞いていませんが)

その言葉には教師の人生をかけているという責任を感じました

それだけの命を背負って教育現場、学校で教えているのかと

そういった人ばかりではないのが事実ですが

中には本当に尊敬できる人間も多くいるのがこの社会です

大切にしなければならない存在は案外すぐ近くにいるものです

まとめ

今回は

本物の教師の条件は生徒のために自分自身の行動を変えて、サポート、指導できる人ということで紹介しました

教師として生きると決めたあなたは素晴らしいです

私も経験上たくさんの素晴らしい方々に出会いました

あなたにも素晴らしい出会いが訪れることを願っています

最後に

私も少しでも学生の勉強の足しになればと

授業の記事・動画をまとめていますので参考にしてください

▶【てぃーちゃーMの社会科】授業ブログ「やさしい社会科授業」

http://teacherceo-masajirusi.com/

▶【中学社会科動画】youtube

https://www.youtube.com/playlist?list=PLWuTo1d_8MwwdbfWkLWaPLUibd6h0I0E0

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