#60【中学校社会科 歴史ノート】近代世界とアジア

歴史一覧

こんにちは

てぃ~ちゃ~Mです

今回は#60【中学校社会科 歴史】近代世界とアジアを紹介します

もくじ

まとめ(ノート用)コピペどーぞ(^_^)

イギリス

16世紀、国王により国家の統一が進められる

1534年 宗教改革でプロテスタント系のイギリス国教会が成立

エリザベス1世(16世紀中ごろ―17世紀初め)のころ絶対王政を成立

1588年 スペインの無敵艦隊を破る

ピューリタン革命(1649年)

名誉革命(1688年)

17世紀イギリスのアメリカへの本格植民化

17世紀インドへイギリス東インド会社が進出→18世紀ムガル帝国の衰えとともに勢力拡大

18世紀中ごろにアメリカに13植民地

1775年 アメリカと独立戦争

1776年 アメリカの独立宣言

18世紀後半 産業革命(19世紀には世界に広がる)

1840年 アヘン戦争(対 清) 南京条約

1857年 インド大反乱

資本主義の発展

ドイツプロイセン王国出身のマルクスにより「資本論」(資本主義の発展の先に社会主義・共産主義があると説く)

スペイン

アメリカの富を独占

1588年 スペインは無敵艦隊。でもイギリス(エリザベス1世のころ)にやられる

フランス

17世紀後半ルイ14世のころ絶対王政が強い

18世紀啓蒙思想が広まり社会制度を批判(ロック17C後半イギリス「市民政府二論」。ルソー18Cフランス「社会契約論」、モンテスキュー18Cフランス「法の精神」(三権分立)、)

1789年 三部会 国民議会 武力で弾圧 フランス革命 人権宣言 ナポレオン

ナポレオン

フランス革命のなか政権を握り皇帝になる。革命の方針を法律にまとめ、革命に反対した国を武力で征服。各国で自由や民族自決の精神が生まれナポレオンの支配に対して抵抗が起こり1814年に支配は終わる(後に戻るがすぐに辞めさせられる)

アメリカ

大航海時代以降スペイン、オランダ、フランスなどが植民地支配

17世紀イギリスの本格植民化

18世紀中ごろに13植民地

1775年 独立戦争、ワシントン

1776年 独立宣言

     合衆国憲法

19世紀の前半 西部開拓、領土拡大

1861年 南北戦争

リンカーンの奴隷解放宣言

ロシア

19世紀の中頃オスマン帝国に宣戦するが、イギリス、フランスとの戦いになる クリミア戦争(1853年) 敗北

1861年 農奴解放令

イタリア

1870年 中小の国々を統一しイタリア王国

ドイツ

1871年 中小の国々をまとめドイツ帝国(プロイセン王国の首相ビスマルクが諸国をまとめていく)

1840年 アヘン戦争(対 清) 南京条約

1851年 太平天国の乱 洪秀全 (イギリスや諸外国の軍隊と清の軍隊が鎮圧)

勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)

▼歴史記事▼

本記事の内容: 日本が江戸時代のころの世界の様子がわかる

江戸時代と絡んでの問題も多いですので時間軸も把握しましょう

各国の説明はかぶっている部分もあります

絶対王政

絶対王政の発生前には諸侯(貴族)が領地をめぐって争う時期があった。王は力が弱く諸侯がそれぞれ領地を持ったいて形だけの王

そんな中、国王や諸侯も民衆からは指示してもらう必要があった。じゃないと領地から逃げられて力をなくしてしまうから

指示してもらうために必要なものが「権威」(みんなに認めてもらうこと)。この「権威」を手に入れるために、諸侯は王に見方をすることで恩を売り、権力を与えられるようになっていく

だが、それでは諸侯の力が強まってしまうので王にとっては都合が悪い

王の力を強めるためには、軍隊と組織と権威が必要だ。これらがまとまっている仕組みが官僚だ。

国王は

・常備軍を持つことで諸侯を保護する立場へ

・広大な国を統治するには役人が必要

・権威はどこから手に入れるのか?・・・神様だ

常備軍や役人を管理するためにはお金が必要。この王を支援したのが商人。商人は販売するエリアが広くなったほうが良い、貴族の領地を通るたびに税を払うのもイヤだ。だったら王を支援したほうが得だという考え

権威を手に入れるためにもお金が必要。教会に認めてもらう必要があるから。

こうやって教会からも「王は神の任命である」として権威を手に入れる。この「王は神の任命」という考えが「王権神授説」である

各国の様子

イギリス

16世紀、国王により国家の統一が進められる

1534年 宗教改革でプロテスタント系のイギリス国教会が成立

イギリス国教会とは王が教会で一番偉いとするもの。権威を自分自身で与えられるということにつながります

エリザベス1世(16世紀中ごろ―17世紀初め)のころ絶対王政を成立

1588年 スペインの無敵艦隊を破る

大西洋での貿易圏をめぐってスペインと戦う

ピューリタン革命(1649年)

ピューリタンへの迫害から始まる

そもそもピューリタンとは、イングランド国教会の改革を唱えた人たち

それと、新国王による重税が重なった。イギリスの度重なる戦争や宮殿の建設でお金がかかったが、国民の思いや議会の意思(権利の請願)を無視して国王が政治をしていた

それに対して怒りが爆発

国王チャールズ一世を処刑し共和制へと変わっていく

この革命で活躍したのがクロムウェル

でも、共和制は長くは続かなかった。陸続きのヨーロッパで争いが絶えなかったのだが、共和制はみんなで話し合う政治。戦争を仕掛けてきているのにゆっくり話し合いをしていてはだめだということ。

クロムウェルの死後また王政が復活する

名誉革命(1688年)

だが、再び王が議会と対立する。この国王を追放し(ジェームズ二世)オランダより新国王を迎え(ウィリアム三世)「権利の章典」を認めてもらうことで、「国王は君臨すれど統治せず」が実現する。同時に、「議会政治」の成立になった

権利の章典・・・国民の自由と権利を守るもの。政治や法律、課税は議会の承認が必要

議会政治・・・立憲君主制~議会が中心に国を運営し、国王も法に従う

17世紀イギリスのアメリカへの本格植民化(メイフラワー号にのってピューリタンが移住)

17世紀インドへイギリス東インド会社が進出→18世紀ムガル帝国の衰えとともに勢力拡大

アメリカ独立戦争

18世紀中ごろにアメリカに13植民地

アメリカに住んでいるイギリス人に重税、イギリスの高い製品を買わせるなど強いるが、アメリカに住んでいるイギリス人は、イギリス議会に代表者を送ることができなかった。

「代表無ければ課税なし」とイギリス本国に抵抗した

1773年 ボストン茶会事件~お茶の独占販売(高いお茶しか買えない)に反対

1775年 大陸会議 ここでイギリスと戦うことを決める

1775年 アメリカと独立戦争

司令官ワシントン

1776年 アメリカの独立宣言

トマスジェファーソンやベンジャミンフランクリンらが作る

基本的人権や人民主権、抵抗権(革命権)を明記

1783年 アメリカの独立を認める(初代大統領ワシントン)(1787年 合衆国憲法)

産業革命

18世紀後半 19世紀には世界に広がる

きっかけ:インドから輸入していた綿織物を国内生産するため

紡績機、織機の改良

ジョン・ケイ「飛び杼(ひ)」

ハーグリーブス「紡績機(ぼうせきき)」

アークライト「水力紡績機」

カートライト「力織機(りきしょっき)」

蒸気機関の改良

ワット・・・蒸気機関の改良

フルトン・・・蒸気船

スチーブンソン・・・蒸気機関車

工業形態の変化

家内工業から工場制機械工業(マニュファクチャ)へ

影響:資本家(経営者)と労働者の二つの階級

資本家は土地、工場、機械、原料、労働者をお金で買ったり雇ったりする

労働者は低賃金、長時間、重労働→労働組合による労働運動、ストライキ

都市人口の増加、不衛生

世界各地に販売。買わないと戦争でしたがわせる

他国へ波及

アヘン戦争

1840年 対 清 南京条約

三角貿易(19世紀の三角貿易)

補足:大西洋奴隷貿易(17~18世紀)

イギリスからアフリカへ銃や綿製品を輸出

アフリカからアメリカへ奴隷を輸送

アメリカからイギリスへ綿花、砂糖、コーヒーを輸出

イギリスはお茶を中国から輸入し、支払いは銀

イギリスはインドへ綿製品を輸出し銀で回収

イギリスがインドからアヘンを中国へ輸出し銀で回収

最終的に銀がイギリスへ戻ってくる流れ

清が広州でイギリス商人のアヘンを没収(林則徐のとりくみ)

→イギリスがおこる

イギリス海軍が清を破る

南京条約(不平等条約)

・香港をイギリス領にする

・上海など5港を開港

・賠償金

・治外法権

・関税自主権が清にはない

インド大反乱

1857年 (セポイの乱)~機械工業が進んだ安いイギリス製品が大量に入ってきて失業者や餓死者が増加

インドがイギリス製品の市場になっているということ

1857年 セポイ(東インド会社が雇ったインド人兵士)がイギリスに反乱

理由:インドはヒンドゥー教やイスラム教の人が多かった、当時の銃は銃口から弾を込める形だが、火薬も弾と一緒に入れる。その際、火薬は湿気に弱いので油紙で包んでいた。球を込める際、片手で銃を持っているため、油紙を破るときに口で破って弾を込めていた。この油に生き物の油が使われていると噂され、生き物を口にさせるとは何事だとインド人が怒ったのがきっかけ

農民の支持もあり拡大するが1859年にはイギリス軍が鎮圧

その後、東インド会社を解散し、イギリスが直接支配していく

資本主義

資本家(経営者)と労働者の二つの階級

資本家は土地、工場、機械、原料、労働者をお金で買ったり雇ったりする

労働者は低賃金、長時間、重労働→労働組合による労働運動、ストライキ

イギリスにいたドイツプロイセン王国出身のマルクスにより「資本論」(資本主義の発展の先に社会主義・共産主義があると説く)

社会主義・・・資本家をなくして生産手段を社会の公有にする

スペイン

アメリカの富を独占

スペインは無敵艦隊。でもイギリス(エリザベス1世のころ)にやられる

フランス

17世紀後半ルイ14世のころ絶対王政が強い

フランスの旧体制(アンシャンレジーム)

国王はトップ

第一身分・・・僧侶

第二身分・・・貴族

第三身分・・・市民と農民

18世紀啓蒙思想が広まり社会制度を批判

啓蒙・・・光を照らすという意味で、古い政治や社会体制を批判する意味でつかわれる

啓蒙思想

人々に正しい知識を与え、合理的な考えに教え導くこと

ロック(イギリス)・・・17世紀

「市民政府二論」・・・王権神授説の批判と政治は社会契約(個人と国家の契約)が基本とする考え

モンテスキュー(フランス)・・・18世紀

「法の精神」・・・三権分立を説く(立法権、司法権、行政権は分けるべき)

ルソー(フランス)・・・18世紀

「社会契約論」・・・人民主権とし、国家は人民との契約で成立していると説く

モンテスキューやルソーによりフランスで啓蒙思想が広がっていく

フランス革命

1789年 三部会 国民議会 武力で弾圧 フランス革命 人権宣言 ナポレオン

三部会・・・僧侶や貴族は特権階級で税金無し、市民だけ税金が発生する。でも議会では覆せない。なぜかというと、各身分で1票だから。僧侶と貴族が賛成して、市民が反対しても2対1で市民が人数的には一番多いけど負けてしまう。それに怒り市民が独自で議会を持とうとする

国民議会・・・そのまま、国民による議会(法律を作る場所)

国民議会が国王と対立→国王が武力で弾圧する

1789年 バスティーユ牢獄を襲撃・・・とらえられた人たちの解放のためだが牢屋はほとんど空だった。

各地に王様への反発が広がり、国王に代わり国民が国家の主権者としての地位を確立

国王を処刑

1789年 フランス人権宣言を発表・・・「人は生まれながらに自由で平等」。国民主権。法の下の平等

王政を廃止し共和制へ

ヨーロッパのほかの国々がフランスに軍隊を送って干渉する

ヨーロッパ諸国の王も自分が処刑されたらいやだから、革命を批判するために軍隊を送る

それらを次々打ち破ったのがナポレオン

ナポレオン

フランス革命のなか政権を握り皇帝になる。革命の方針を法律(ナポレオン法典)にまとめ、革命に反対した国を武力で征服。各国で自由や民族自決の精神が生まれナポレオンの支配に対して抵抗が起こり1814年に支配は終わる(後に戻るがすぐに辞めさせられる)

アメリカ

大航海時代以降スペイン、オランダ、フランスなどが植民地支配

17世紀イギリスの本格植民化

18世紀中ごろに13植民地

イギリスからの規制はない代わりに行政サービスもない

自分たちで何とかしなければ

議会の成立・・・政治的にも自主自立、自由な気風の文化が生まれる

北部では商工業が中心(農業が難しかったから)

南部では大規模農園(プランテーション)でタバコや綿花を栽培させる。アフリカからの奴隷を使って

独立へのきっかけは1754年のフレンチ・インディアン戦争

アメリカに領土が欲しいフランスと領地を取り戻したいアメリカ先住民がイギリスと戦う

イギリスが勝利するが国王が独り占めしようとし、戦争でかかった費用をアメリカに住むイギリス人(13植民地の住人)に負担させようとした。

印紙法・・・13植民地の印刷物すべてに税金

茶法・・・イギリス東インド会社のお茶しか販売を認めない=高いお茶を買わされる

領地は広がっていないのに課税され、税金を作るかどうかの判断はイギリス本国が勝手にする。それに対し、「代表無ければ課税なし」ということでイギリスに反発

ボストン茶会事件でアメリカに来たイギリスの船のお茶を海に捨てる

1774年 大陸会議(13植民地による会議)でイギリスと戦うことを決める

1775年 独立戦争、指導者:ワシントン。他国もアメリカに協力(反イギリス派)

1776年 独立宣言(起草者:ベンジャミンフランクリン)

     すべての人は平等。

1783年 パリ条約でイギリスがアメリカの独立承認

1787年 合衆国憲法・・・人民主権。三権分立。連邦制(13植民地→州へ)

19世紀の前半 西部開拓、領土拡大

1861年 南北戦争

原因:商業拡大のためには奴隷より市民が多いほうが買ってくれる人が多くなると考える北部。農業中心の南部は奴隷は農業をするためには必要だ。

リンカーンの奴隷解放宣言

ゲティスバーグ演説「人民の人民による人民のための政治」

北部の勝利に終わる

ロシア

19世紀の中頃オスマン帝国に宣戦するが、イギリス、フランスとの戦いになる クリミア戦争(1853年) 敗北

1861年 農奴解放令

資本主義の基礎。農民として縛り付けるのではなく自由な労働力が経済発展(国が強くなる)ためには必要

イタリア

1870年 中小の国々を統一しイタリア王国

ドイツ

1871年 中小の国々をまとめドイツ帝国(プロイセン王国の首相ビスマルクが諸国をまとめていく)

急速な工業化と帝国主義化

分裂状態にあったドイツ周辺諸国を一つにまとめ上げた形は、日本も参考にした。(幕府と大名の支配から明治政府へ)

1840年 アヘン戦争(対 清) 南京条約

三角貿易(19世紀の三角貿易)

イギリスはお茶を中国から輸入し、支払いは銀

イギリスはインドへ綿製品を輸出し銀で回収

イギリスがインドからアヘンを中国へ輸出し銀で回収

最終的に銀がイギリスへ戻ってくる流れ

清が広州でイギリス商人のアヘンを没収(林則徐のとりくみ)

→イギリスがおこる

イギリス海軍が清を破る

南京条約(不平等条約)

・香港をイギリス領にする

・上海など5港を開港

・清がイギリスに賠償金

・イギリスの治外法権を認める

・関税自主権が清にはない

1851年 太平天国の乱 指導者:洪秀全 

清を倒して漢民族の中国をと、貧富の差のない男女平等な社会をめざす

イギリスや諸外国の軍隊と清の軍隊が鎮圧するが清が弱体化

1856年~1860年 アロー戦争

アロー号事件が始まり・・・清がイギリス船の密輸に対し立ち入り調査→イギリスが清に対し軍事行動

北京条約(1860年)で賠償金と貿易港の増加

問題

頻出問題①

1689年、議会は「権利の宣言」を提出し、ウィレムとメアリがこれを承認してウィリアム3世とメアリ2世として即位した。さらに議会は権利宣言を「権利の章典」として制定、立憲君主制が成立した。

上記の前の年に、国王の交替が流血の惨事を伴わずに実現したことから、この変革を何革命と呼ぶか答えなさい。

答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2020/01/31/post-1623/

頻出問題②

18世紀後半から 19世紀前半にかけてイギリスにおける技術革新に伴う産業上のさまざまな変革や手工業生産から工場制生産への変革,それによる経済・社会構造の大変革を何というか漢字4字で答えなさい。

答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2020/01/31/post-1626/

頻出問題③

1842年にアヘン戦争終結のためイギリスと中国清朝の間で締結された条約を何というか答えなさい

答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2020/01/31/post-1629/

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